日本にイスラム教が入ってこなかった理由は「日本教」(by 小室直樹)

宗教知らずは身を滅ぼす

もう何十年も前の話ですが、わたしが子どもの頃、父が恐ろしい話をしてくれました。

若かりしわたしの父が地方から上京してきたとき、「コロッケパーティーがあるから遊びにきなよ。」と友人から誘われて何気なく参加した会が、某宗教団体の勧誘パーティーだったというのです。

また父が学生の話です。お世話になっている人が亡くなったので葬式に参加すると、故人の一家が実は某宗教団体の信者だったことをはじめて知ります。

父もそのこと自体は気にしていなかったようなのですが、宗教団体の関係者らしき人が香典の入った袋をゴソっと奪ってゆく光景を目撃してしまったことだけは「ショックでいまだに忘れられない。」と話してくれました。

宗教って本当に怖いんだよ。」と父はわたしにつぶやきましたが、わたしは毎日不思議な光景を目にしていました。父も母も、毎日仏壇に手を合わせてお祈りしているのです。

宗教が怖いというくせに、なぜ?仏教を信仰しているのか?」と。「そもそもなぜ?仏教なのか?キリスト教やイスラム教ではダメなのか?」と、わたしはずっと疑問に思っていました。

とはいえ、わたしにとっては正直「宗教なんてどうでもいいこと」でした。ですからその大きな疑問を解消しようとも思いませんでしたが無関心ではいられなくなる(わたしにとっては)大事件が発生するのでした。

大事な話とさくらんぼ

ある日夕食を食べ終わると、父が「大事な話がある。」と家族を集めました。夕食後のデザートを楽しむこと自体、裕福でなかった我が家では珍しくなかったのに、その日は「さくらんぼ」が登場したので、わたしも妹も人生でかつて経験したことのない緊張感をもちながら父の話に耳を傾けたのです。

父の口から語られたのは、「海外に住むことになりました。」という衝撃の告白でした。さくらんぼの種がノドにつまりそうになりました。

父の赴任先は「イタリア」でした。キリスト教カトリックの総本山バチカン市国のあるイタリアで過ごした経験が、宗教に関するわたしの感度を敏感にしたのでした。

もちろん「宗教知らずは身を滅ぼす」ということを悟るのは、それからずっと後のことですが、とにもかくにも慌てて「宗教」について独学で勉強するハメになったのですから世の中わからないものです。

なぜ?宗教に興味をもつようになったのか?というと、、、わたしが想像もしていなかったほどに『宗教』はあらゆるテーマの根本にあるものだったからです。

わたしのそのことを教えてくれたのは小室直樹先生です。小室直樹先生は『博学の王』として知られ、過去に本ブログでも紹介した書籍「14歳からの社会学」の著者「宮台真司」先生の先生としても知られています。

小室直樹

1932年生まれ。京都大学で数学、物理学、大阪大学大学院で経済学を学んだ後アメリカに留学し、心理学、統計学、社会学を学び、日本に帰国後は人類学、法学、政治学を学ぶ。東京大学から法学博士を授与される。

さてここから先は少し宗教について話します。「宗教になんて興味がない」という人のほうが多いと思いますが、(そうかつてのわたしのように)、宗教に興味がない人ほど目からうろこが落ちる経験ができるチャンスなので、もう少しお付き合い下さい。

『博学の王』の教え

実は、日本人のあらゆる問題の根本に「宗教オンチ」があることを知っていますか?

小室直樹先生は、無宗教国日本の抱えるリスクを著書のなかで、以下のように語っています。

宗教がないから、カルト教団は簡単に人を殺して勝手に金を奪う。こんなにたやすくカルト教団がはびこれる国は他にない。

宗教がないから、学校は崩壊して、子供たちは自由に人を殺しても平気である。しかも、誰もその理由に気づかない。

宗教がないから、経済破綻ぐらいで闇雲に命を絶つので、自殺率は急増中である。

資本主義もデモクラシーも近代法も、深くキリスト教に根ざしている。キリスト教の理解ができないから、「資本主義」とは名ばかりの統制経済となり、三権は役人に簒奪(さんだつ)され、近代法は機能せず、政治と経済とは破局に向けて驀進中である・・・・・・。

【引用:日本人のための宗教原論】

宗教に意味あるの?

そう。とにもかくにも宗教は大事なのです。しかし日本人を宗教に勧誘すれば「それって意味あるんですか?」という素直な質問が返ってくるでしょう。実はそのような反応こそが、日本人が宗教を理解していない証拠でもあるのです。

キリスト教信者やイスラム教信者であれば神さまは絶対的なものです。ですから「神様に人間の都合のいい価値観を当てはめてコントロールできる」なんて発想すらありません。

その一方で世界で日本人だけが「神様とは自分のために何か嬉しいことをしてくれる存在」であると信じて疑いもしないのです。

振り返ってみれば、わたしの父や母はたしかに神を信じていたかもしれませんが、キリスト教徒やイスラム教徒のように神を「崇拝」していたわけではなかったのです。

つまり父も母も「神に祈りを捧げる」というよりは、「自分やその家族の私的な利益のために」ひたすら願っていただけだったのです。

日本以外の先進国においては、宗教は『行動規範』だけでなく『死生観』すら決めています。

しかし日本人には「これ」といったものがありません。実は「これ」といったものがない自由こそが、「どうしたらいいかわからない」という日本人の苦しみであることにあなたは気づいているでしょうか。

あなたは宗教を受け入れるでしょうか?しかしほとんどの日本人は特定の宗教を信仰することを望んではいないでしょうし、あなたもそうである可能性が高いと思います。

「どうしたらいいかわからない」が「わたしを縛り付ける宗教だけは受け入れたくない」というのが、多くの日本人にとっての本音だと思います。

ではどうすればいいのでしょうか?

他人から『生きがいのようなもの』を与えられたくないのであれば、自分で『生きがい』を見つける他ない」というのが、ひとつの意見ではあります。

生きがいとはなにか?生きがいをもって生きるとはどういう状態なのか?というヒントについても、本ブログで紹介しましたので、もしかしたらこの記事を読んでいる人のなかには「生きがいを大切にする生き方」を実践しているかもしれません。

しかし「生きがい」を見つけることができない人も多いのです。なぜでしょうか?あくまでわたしの仮説ですが、多くの人が「無宗教」を誤解しているからだと思います。

「生きがい」と「宗教」にどのような関連性があるの?と、さらに混乱してしまう人も多いと思いますが、わかりやすくかみ砕いて説明しますので安心してください。

日本人には特定の宗教を信仰していない人が多いです。そういう人はみんな「わたしは無宗教です!」と答えます。

しかし日本人の多くは「自分は無宗教である」と勘違いしているだけなのです。日本人の多くは「無宗教」≒「日本教」あることを自覚すらしていないのです。

つまりはこういうことです。「未来は決まっていないから頑張ろう!」と思って真っ白なキャンパスに未来を描こうとするとき、実はキャンパスには「日本教」という絵がすでに描かれているのです。

他人に遠慮することなく「自由に未来を描こう!」とか「生きがいをもとう!」などと、いくらアドバイスされても、心のどこかでブレーキを踏んでしまうのはこういったわけなのです。

では「日本教」ってなんでしょうか?

日本教という言葉は山本七平氏による造語で、その意味するところは「日本人のうちに無意識に染み込んでいる宗教」とのことですが、イマイチピントこないという人がほとんどだと思います。

実は先日、小室直樹先生が「日本教についてどのように考えているか?」ということをゲストとしてコメントしている貴重な動画を発見しましたので、ここから先は東京工業大学名誉教授の橋爪大三郎氏司会による動画にバトンタッチしたいと思います。

日本教とは?

動画を観れば、日本教とは何か?ということの概要が理解できると思いますが、この機会に宗教について勉強したい方には小室直樹先生の「日本人のための宗教原論」をおススメします。

博学の王、小室直樹先生が「キリスト教」、「仏教」、「儒教」、「イスラム教」の蘊奥(奥深いところ)を横断的に解説してくれる刺激的な1冊です。

「日本人のための宗教原論」を読めば、「世にはびこるどの宗教が本物で、どれが偽物か?」ということや「どの宗教があなたをどう救えるか?」ということについても考えることができるようになるはずです。おススメです。